違う選択、違う結果、同じ舞台。ケニオン・マーティンJr.の決断と父からの手紙

ケニオン・マーティンは、シンシナティ大学で4年間を過ごした後、2000年のNBAドラフト1位で指名された。それから約20年後の2019年の夏、彼の息子は父親の足跡を辿ってNBAに入ることを希望していた。しかし、“K.J.”ことケニオン・マーティンJr.は、型破りなルートを辿ることを選んだ。彼は大学には進学せず、直接プロの道に進みたいと望んだのだ。

“How Kenyon Martin is supporting his son’s decision to skip college and go pro”(The Undefeated)

僕はいつもバスケットボールをしてきたし、それこそ僕がやりたかったことのすべてだ」とマーティンJr.は語った。「NBAでプレイしている大勢の選手を間近で見てきたんだ。楽しいよ。仕事はバスケットボールをプレイすることだ。仕事はパフォーマンスをすることであり、それ以上のことは求められない。人々の前でパフォーマンスをして、人々をエキサイティングにさせるのが好きなんだ。1年後、もし僕がドラフトされたら、それはまさに夢が叶うということだ」。

マーティンJr.は彼の高校の最終年、ESPNによって三つ星としてリクルートのリストに名を連ねていた。パワーフォワードとして全米では48位、カリフォルニア州では24位の選手だった。201cm、95kgのフォワードであるマーティンJr.は、2年連続のカリフォルニア・オープン・ディビジョンのチャンピオン、シエラ・キャニオン高校で平均16.7点、9.8リバウンドを記録した。しかし、チームメイトだった、デューク大に進んだカシアス・スタンレー(2020年ドラフトで2巡目54位でペイサーズから指名)、ヴァンダービルト大に進んだスコッティ・ピッペンJr.、アリゾナ大に進んだクリスチャン・コロコの影に隠れていた。

父のように、マーティンJr.は高く跳ぶためのアスレティックな能力に秀で、リバウンドとフロアの端から端まで走れるタフネスを発揮した。彼はまた、父親のプレイを見て多くのことを学んだ。

僕は父がエネルギッシュだったことを最もよく覚えている」とマーティンJr.は言った。「コート上の選手は父のエネルギーを糧にしていたし、父がエネルギッシュでいる時、それは他の選手をより良くする。皆が上を向いていて、下を向いている選手はいない。父のエネルギッシュなプレイはチームに多くをもたらしていた。それを見ていたから僕は、自分のプレイにエネルギーをもたらし、チームが必要としていることは何でも助けようとしている」。

“How Kenyon Martin is supporting his son’s decision to skip college and go pro”(The Undefeated)

マーティンJr.は、まだ彼のゲームよりも父の名前のために知られているが、父であるマーティンは、その世間の認識は変わると信じている。

「誰もがランキングのことについてばかり語ろうとする。『彼のランクは高くない』。しかし、ランキングはスキルセットとは何の関係もない。2つの州の選手権の優勝チームでダブルダブルを平均したのに、237位にランク付けされるっていうのか? それは私にとって非常識だね」と、オールスターであり2015年に引退する前にNBAファイナルで2度プレイしたマーティンは語気を強めた。「私はバスケットボールをよく知っている。私は私が見ているものを知っている。彼が何に取り組む必要があるかも知っている。彼がもっと良くなる必要があることも知っている。そして、彼はそれを快く受け入れていることもね」。

マーティンJr.は当初、元NBAスターのジェリー・スタックハウスがコーチを務めるヴァンダービルト大でプレイする予定だった。しかし、5つ星リクルートのRJ・ハンプトン(2020年ドラフトで24位でナゲッツ入り)が大学でプレイする代わりにオーストラリアのナショナル・バスケットボール・リーグのニュージーランド・ブレイカーズと契約することをESPNで発表したとき、自分自身の決断について考え直した。その後、ニューオーリンズ・ペリカンズのガード、ロンゾ・ボールの弟であるラメロ・ボール(2020年ドラフトで3位でホーネッツ入り)も続けて、同じくオーストラリアのイラワラ・ホークスと2年契約を結んだ。

マーティンJr.は彼らが下した決断について尋ねるべく、彼ら両方に電話をした。

「RJとラメロの両方に話を聞いた」とマーティンJr.。「ラメロは既にリトアニアで1年間海外でプレイした経験があって、今また海外に戻っていく。僕は彼にそのことについてどう考えているのか聞いてみた。RJにも同じようにどう考えているのかを聞いてたが、2人が達成したいと考えていることについて、皆が同じマインドセットがあったんだ」。

これらの会話の後、マーティンJr.は彼の父と一緒に話し合った。

「私はただ、『お前はそれに確信があるのか?』と彼に尋ねた」とマーティンは語る。「多くの感情がその時に駆け巡った。でも、それについて考えれば考えるほど、私はより彼を理解した。私は息子のことをよく理解していった。彼の決意が本物かどうか、『やりたい』と言い続けるかどうかを確認するために、1週間をかけた」。

「私は、より踏み込んで考えてみた。周りの人々がどんなことを言うだろうか、と。彼の決断は、決して人気のある選択じゃなかった。でも、人気のある選択かどうかなんて誰が気にするのか? それが私の中で生まれた考えだった。そして、スタックハウスに伝えたんだ。『彼の心がないところへ彼を送ることはできない』」。

マーティンJr.が大学ではない別の道で彼の才能を試すことを選択してから、マーティンは彼の側にいると決めた。「私と妻はそれについて話している。私たちは証明するつもりだ。彼が準備できている状態になり、彼の究極の目標である『NBAでプレイすること』を実現するために、最高のポジションに彼を導くように助ける責任が私にはある」とマーティンは語った。「でも、彼はまだ18歳。彼はまだ子どもなんだ」。

マーティンがそう語っていたのは2019年の夏。そして時は流れ、2020年の冬。現地11月18日に行われたNBAドラフト2020で、マーティンJr.はサクラメント・キングスから2巡目52位で指名を受け(トレードによりヒューストン・ロケッツへ)、悲願のNBA入りが決まった。

結局、模索していた海外でのプレイはなくなり、多くのトップアスリートを輩出してきたIMGアカデミーのポストグラデュエイトチームでプレイした。突然の大学進学取り止めから始まり、この一年余りはマーティン家にとっては波乱の日々が続いていたことだと思うが、最終的には、ずっと追い求めていた「NBAでプレイする」という夢を勝ち取ることができた。マーティンJr.もそうだが、間近で支えてきた父であるマーティンも、実際に指名され名前が呼ばれた瞬間、顔を伏せ、涙を流した。

“Kenyon Martin’s open letter to his son, KJ: ‘It’s go time!’”(Basketball News)

最後に、マーティンがNBAの夢を叶えた息子に当てて書いた手紙がある。

「KJへ。

さて、どこから始めようか。

まず、『お前のことを誇りに思っている』という言葉から始めたい。

20年前、私はドラフトのステージに上がった。そして今、それはお前の時間だ!

お前が自らの夢を成し遂げるために注いできた努力は、何にも劣らない。

お前がここに至るまでの成長を見ることができたことは、ワンダフルだった。

ついにこの日が来たな!

お前がこの世に生を受け、初めて目にしたのを、まるで昨日のように覚えている。私の最初の息子。

お前が初めてプールに飛び込みながらダンクを決めた時から、ずっと畏敬の念に駆られ、今ではその畏敬の念が深まっている。

夢を抱き、夢を追った。そして今、その夢は人生になった。

お前は驚くべき人間だ

私が知っているお前を、出て行って世界に見せつけてやれ。

そのためにお前は生まれ、成長してきたんだ!

その旅が今始まるんだ。

お前が偉大になるまでの道のりを、何物にも、何者にも邪魔させるな。

愛してるよ。

お前は私の誇りだ。

私はもっとすごいビッグサポーターになるよ。

行け! 時間だ!

愛を込めて、

父」

私は、彼らのストーリーから、マーティンとマーティンJr.の大ファンになった。ヒューストンで迎えるNBAとしてのキャリアが輝かしいものとなるように。父のように、高く跳び、ボールを強く叩き込み、ファンを興奮の渦に巻き込める存在になれるようにと、願ってやまない。■

JJ
I Stan Basketball. / Started watching NBA since 2003 / A Big Fan of LeBron & Lakers / An Alumnus of University of Tsukuba / An Editor / A Blogger

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