トレイ・バークが語るNBAでプレイすることのメンタル面についての本音

正直に言って、本当の意味で鏡の中を見て、偽らずに誠実でいるのは、極めてまれなことだ。自分自身のプライドを傷つけたくないときに負けを認めるという境地には、到達するのが難しい。しかし、トレイ・バークがここまで前進し続けてきた姿は、まさにそれに当てはまる。なぜなら、28歳の彼はこれまでの人生の中で、本当の自分自身と向き合わなければならない瞬間が多くあったからだ。「私は学んだ」と彼は言う。彼は、心地良くないことにこそ心地良さを感じているのだ。

Source: “TREY BURKE GETS HONEST ABOUT THE MENTAL SIDE OF PLAYING IN THE NBA”(SLAM)

決して簡単ではなかった」と、彼はインタビューの冒頭で打ち明け、現役のNBA選手たちがめったに見せることがないような素直さを見せた。「私が思うに、これは私が長い時間を掛けて自分の中に培ってきたものだ。自分が置かれた状況、自分に与えられた役割によっては、必ずしもそれらが自分に合うとは限らない。それでも自分で答えを見つけていかなければいけない」。

それが、彼が何度も、何年も継続していることだ。

Source: “TREY BURKE GETS HONEST ABOUT THE MENTAL SIDE OF PLAYING IN THE NBA”(SLAM)

バークのバスケットボールのキャリアについて簡単に説明したい。

バークとジャレッド・サリンジャー(元セルティックス)は、オハイオ州の高校バスケ界を席巻していた。中学2年生の時に家族でアトランタに引っ越し、中学3年生の時にオハイオ州に戻ってきた後で、彼の苦悩の日々が始まった。バークの名前はオハイオ州のランキングから落ち、彼は新人として友人のプレイをベンチから見守らなければならなかった。しかし、物事はその後で活発になった。バークはコロンバスのノースランド高校時代に97勝5敗の成績を残したと言われている。ミシガン大学バスケットボール部の一員として過ごした2シーズンは、彼が伝説的な選手になることを証明するものと思われていた。2013年にミネソタ・ティンバーウルブズに1巡目9位で指名され、同じ日にユタ・ジャズにトレードされた。2016年にワシントン・ウィザーズにトレードされるまでジャズで3年間プレイし、その後に移ったウィザーズで1年プレイした後、ニューヨーク・ニックスとの契約を結んだ。

そして、彼はウェイブされた。

気にかけなかった。

バークは、下部リーグのウェストチェスター・ニックスで26試合をプレイした後も、NBAでプレイしたいという望みが強かった。彼の思いは本当に強かった。

2018年になってまもなく、ニューヨーク・ニックスが声をかけてきた。多くの得点、華やかなクロスオーバー、アシストを彼は披露して見せた。それから1年余が経ち、ダラス・マーベリックスにトレードされた。そして、フィラデルフィア・セブンティシクサーズに移籍し、2019-20シーズンをスタートさせた。しかし、シクサーズは2月に彼を手放した。

パンデミック。

シーズン中断。

不確実な数カ月間。バークが何度も何度も見せた願望に対する「試しの時」となった数カ月間だった。その期間、一切の約束、保証もなく、ワークアウトに明け暮れた。ただただ飢えていた

オーランドのバブル。マーベリックスから電話を受けた。バークはさまざまな印象的なパフォーマンスを見せ、時に大きな数字を叩き出し、時に大胆さを見せてくれた。

そしてついに、2020年12月、それまでのバークの忍耐が、マーベリックスとの3年1,000万ドルの契約によって報われた

Source: “TREY BURKE GETS HONEST ABOUT THE MENTAL SIDE OF PLAYING IN THE NBA”(SLAM)

ここまでのストーリーは、あくまで俯瞰したものだ。年ごとに解像度を上げて確認してみると、バークのNBAキャリアが精神的にも感情的にも試しを受けてきたものだったことは明らかだ。しかし、彼の中に「諦める」という言葉はなかった

物事はタフになっていった」と、ジャズでのルーキーイヤーを過ごした後でバークは語った。将来についての保証はなく、プレイングタイムにも一貫性がなかったことは、彼が成功したルーキーシーズンだったと思っていたものに影を投げかけた。

ジャズでの2年目、ダンテ・エクサムがドラフトされたことで風向きが変わっていった」とバークは言う。「私はオールルーキーファーストチームに選出された。そして、私とチームは共に成長したいと思っていた。翌年、私の2年目の年に、チームがエクサムをドラフトすると、当時HCを務めていたタイ・コービンが解雇されてしまった。まったく新しいスタッフになった。すべては彼らのやり方で進んでいった。私はプレイしなくなっていった。そして、それが自分の身に降りかかっていることを理解する必要があった。犠牲者かのような態度をとるか、『彼らが何をしようと構わない』という態度をとるか。私は、環境が私に示すものを気にしない。私は、ありのままのトレイ・バークでいようと常に思っている。その同じトレイは、毎朝起きて、自主練習を行い、練習に行って、練習後も遅い時間まで練習する。そして、自分自身であり続けて、自分のプレイングタイムがどうなろうと、自分のやるべきことやルーティーンに集中するんだ」。

しかし、彼が今まさに話しているような確信は、当時にはなかった。実際には、その時からもう少し後になってからだった。ジャズでの厳しい結末に続き、ウィザーズの一員としても苦しい時間が続いた。

ワシントンに移籍してからは、自分がかつて行っていたのと同じ悪いパターンが戻ってきていたんだ」と彼は言う。「そして、ワシントンでも同じ状況に戻っていることに気がついた。人々が『君の才能のせいじゃない。君のゲームとは関係がないんだ』と言うのを聞いた。彼らは基本的に私のスキルは問題ではないと言っていたから、それにいつも戸惑いを感じていた。わかったのは、組織は私に役割を与え、その役割において私が仕事ができるかどうかを見たいと思っているということだ」。

バークは自分を取り戻す方法を探していた。彼は自分の心を研究し、なぜジャズとウィザーズで悪いパターンが出現していたのかを理解し始めた。彼はそれがバスケットボールのことだけだと思っていた。しかし、彼は「人としての自分を学び直さなければならない」とわかった。そうすれば、自分自身に戻れると彼は信じていた。バークは、『ハリケーン』でのデンゼル・ワシントンの演技に助けられたところがある。彼は、デンゼルの役が「不利な状況」に置かれるのを見た。しかし、デンゼルの役はそのような状況で自分を定義させることはなかった。これが、バークが彼から得た学びだった

新しいバークが形になり始めていた。

しかし、バークはすぐに再び谷に直面することになる。ニックスは2017年10月に彼と契約したわずか3日後に彼をウェイブし、まったく予期せぬ形でGリーグに送られた。元1巡目9位指名選手がGリーグでプレイすることになるとは誰も思っていなかっただろう。しかし、彼がGリーグでプレイすることを望んでいたという事実だけでも、彼の献身的な姿勢がうかがえる

バークは自らGリーグ時代の話を持ち出し、「あの時のことを常に強調するようにしている」と語った。

私はGリーグでの経験を通して、自分自身を再発見したんだ」と彼は言う。「皆から離れて初めて、トレイ・バークであること、自分自身であることに戻れたんだ。時には、生まれ変わるという状況を経験しなければならないこともあるGリーグは生まれ変わりのために必要な状況だったと思う。ニックスは私を呼び戻してくれたし、その年は何度か素晴らしいパフォーマンスの試合ができたよ」。

クリスタプス・ポルジンギスのダラスへのトレードに含まれシクサーズに辿り着いた後、2019-20シーズンの初めに25試合の出場し、彼は再び輝きを取り戻した。そのため、彼が2月にウェイブされたとき、彼はメンタル面での負の連鎖には陥らなかった。

私が経験から学んだことは、状況に左右されず、自ら作り上げた計画に集中して忠実に実行するなら、毎日向上し、常に状況をコントロールできるようになるということ。私が思うに、人は現実を作り出すクリエイターだ。私たちは、自分の考えや行動を通して、経験する現実を創造している。私は本当にそのことを信じている。望ましくないことを経験することもある。コーチは、私が21点を取ろうが8点しか取れなかろうが、次の試合でベンチを温めなければならないかもしれないし、それが3試合、4試合になるかもしれない。それは私の心を悩ませるかもしれないが、それが現実なんだ。そのような経験から、私は怒りを秘訣に変えることを学んだ。表に出さない、感情を隠すんだ。その内なる怒りを、自らをジムへと向かわせるモチベーションにつなげる。私は、自分が経験した好ましくない状況を糧にしていく方法を学んだんだ」。

そして、その時が来た。彼が内なる自分と戦い続けて得た知識のすべてが、現実の生活の中に現れてくる時が来た。

プレイオフのロサンゼルス・クリッパーズとの第4戦。ポルジンギスの欠場により、バークはティップオフの直前に、自身がキャリア初のプレイオフでの先発出場を果たすことを知った。

第4戦、私たちはクリッパーズに1-2で負けていた。本当に緊張していたけど、興奮もしていたよ。気づいたら、あっという間に試合がスタートした。自分がハイレベルなゲームを展開できると信じていたから、ゲーム4では多くの時間をプレイすることになるとは思っていた。それでも、ティップオフの数秒前に、全国放送のテレビに出ることを伝えられ、緊張した。私にとって初めてのプレイオフの経験。本当に初めてのプレイオフの経験だった」。

これまで話したことはすべて確かなものだよ」と、バークは自信満々に語る。「自分の考えを揺らがせることはなかった。でも、疑念や失敗といった考えは出てきた。若い選手たちに知ってほしい。そういった考えは必ず出てくる。だが、私は常にこう確信していた。『自分には準備ができている。これまで見てきているし、研究してきたし、自分が何をすべきかも知っている。相手の弱点も知っている。準備はできているんだ』。だから、そういったことを考えてしまった時は、いつもそれを頭から逸らすようにしていた。それには時間がかかる。心を鍛えるのには時間がかかるんだ。試合になり、思考を暴走させるのは簡単だ。特定の役割を担っていない時は特にね。でも、カーライルHCをはじめ、スタッフ全員が私のプレッシャーの中でのプレイを見てくれた。だからリラックスできたと思う。私が作り出したのではなく、リラックスできたんだ。ここは将来的に自分の居場所になる。それが自分にはわかるんだ」。

私は自分自身について多くのことを学んだ」と、バークは力強く語る。「最も不安定な状況のいくつかでは、自分が何者であるか、自分の知っていることに確信を持つこと。そうすれば、きっと大丈夫だ。私が25点を取り、ルカがウイニングショットを決めてくれた。あの試合はプレイオフの試合の中でも最も好きな試合の一つだ。NBAで一番好きな試合だよ」。■

“Mavs agree to deal with PG Trey Burke as Willie Cauley-Stein intends to opt out of NBA restart”(The Dallas Morning News)

JJ
I Stan Basketball. / Started watching NBA since 2003 / A Big Fan of LeBron & Lakers / An Alumnus of University of Tsukuba / An Editor / A Blogger

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