競争者として、少女の父親として。コービーと絆を結んでいたザック・ランドルフ

コービー・ブライアントが逝去したあの悲劇的な事故から1年。元NBAオールスターのザック・ランドルフと、ブライアントの女子バスケットボールチームでプレイしていたランドルフの娘であるマッケンリーは、いまだにブライアント父娘の弔いを続けている。

Source: “He Bonded With Kobe as a Competitor, Then as Another #GirlDad”(The New York Times)

ザック・ランドルフとコービー・ブライアントは、10年以上にわたってNBAのウエスタン・カンファレンスで同じ時代に戦った同士だ。2人は、オールスターゲームで2度チームメイトだった。彼らは、ブライアントがレイカーズの一員として、そしてランドルフがロサンゼルス・クリッパーズの一員としてプレイしていた短い期間(2008-09シーズンの1シーズンのみ)、ステイプルズ・センターという同じ職場を共有していた。

2人は頻繁にすれ違うようになると、「お互いを尊敬し合うようになった」とランドルフは表現していた。しかし当時は、その関係がコーチと親のようなダイナミックな関係になるとはまったく予感させるものではなかった。引退後の最初の年に、ランドルフはブライアントに、彼が指揮するチームマンバに、長女のマッケンリーのために枠を空けてほしいと頼んだ。

そんなことになるなんて、誰が想像できるんだ?」とランドルフは語る。

2019年の夏、ランドルフがメンフィスから南カリフォルニアに移り住むまで、彼の知るコービーの話はすべて、ブライアントの狂うほどの競争的な性格と、それを直接体験することがどういったものなのかといったことを中心にしていた。ランドルフのコービーとの初めての対戦は、ランドルフがメンフィス・グリズリーズの歴史の中で最も成功し、絶大な人気を誇る選手の一人として活躍するよりずっと前の、ポートランド・トレイルブレイザーズでキャリアをスタートさせた激動の2000年代初めにまで遡る。

ランドルフから溢れ出る回想の数々は、NBAでの出会いとは対照的な、ブライアントのコーチングの方法に重点が置かれていた。娘のマッケンリーがブライアントの下でプレイできた数カ月間の大切な思い出は、悲劇が発生するすぐ前だった。2020年1月26日、ブライアントはチームマンバの試合に向かう途中、カリフォルニア州カラバサス近郊で乗っていたヘリコプターが墜落し、この世を去った。

約1年前の霧がかった日曜日の朝のその墜落事故により、ブライアントと彼の13歳の娘であるジアナ、チームマンバのチームメイトであるアリッサ・アルトベリ、ペイトン・チェスター、アシスタントコーチのクリスティーナ・マウザーを含む9人全員が亡くなった。この大惨事により、ランドルフの中でのブライアントに対するイメージは、チームマンバでのイメージに固まった。ブライアントは、超組織的で、練習が大好きだった。しかし、現役時代のプレイヤーとしての彼のイメージとは対照的に、コーチとしての彼は控えめだった。

ランドルフは言う。「彼は史上最高の一人だ」。しかしそれは、NBA歴代通算得点4位としての彼ではなく、コーチとしての彼について言い表したものだ。

ランドルフは、ブライアントとマウザーがチームの7年生と8年生に対して協働で行っていた、NBAから影響を大きな受けた訓練や指導に驚嘆した。ブライアントは、選手たちのためにヨガのセッションやビーチでのトレーニング、トラックでのスプリントやラップなどを行ったり、頻繁に映画を鑑賞したりするなど、コート上に特化した取り組みを補うような、フットワークの概念やディフェンスの原則を習得するためのスケジュールを組んでいた。コンディショニングと筋力トレーニングは優先されており、練習と移動のスケジュールは包括的だった。ブライアントはまた、選手たちに自らが進学し、プレイすることを夢見ている大学の名前を挙げさせ、それを実現するために正式な目標として掲げさせることも重要視していた。

彼は力の限りを尽くしていた」とランドルフは話す。「彼はチームを本物の組織のように運営していた」。

マッケンリー・ランドルフは、Instagramを通じてチームマンバとバスケットボールに夢中なジアナ・ブライアントの存在を知った。マッケンリーの勧めにより、家族がメンフィスを離れ、カリフォルニア州エンシノに居を構えた後、ランドルフが最初に電話をかけた相手がブライアントだった。ランドルフはコービーに、マッケンリーのコーチをしてくれないかと尋ねた。

「どうかな」と、ブライアントはランドルフに言った。「彼女をここに連れてきてほしい。他の女の子たちと交ざった様子を見てみたい」。

Source: “He Bonded With Kobe as a Competitor, Then as Another #GirlDad”(The New York Times)

マッケンリーは206cmの元NBAスターの娘だが、ブライアントは何の確約もしなかった。彼女はすぐに先発の座を与えられたわけではなく、チームマンバがセンターを必要としていた時でさえもそうしなかった。練習は月曜日から金曜日まで、チームの選手のほとんどが住んでいるオレンジカウンティーで行われることが多く、マッケンリーはサンフェルナンドバレーから長い距離を通うことになっていた。練習の後、彼女は「他の女の子に追いつくために」余分に走らなければならなかった、とブライアントが話していたことをランドルフは思い出した。

しかしながら、それらすべてが、ランドルフいわく「完璧にフィットしていた」という。

パズルのようにね」とランドルフは言う。「私の娘は心から喜んでいた。娘が話していたのはそれだけさ」。

マッケンリーは、ブライアントのコーチングを受け、最初は「とにかく緊張した」という。しかし、1週間後には「ああ、彼も普通の人なんだな」と感じたという。チームの女の子の何人かは、ブライアントコーチと呼んでいましたが、マッケンリーは本当に「コービー」と呼んでいた。

父と娘の意見が一致していること。それは、ブライアントはマッケンリーがすぐに改善するのを助けたということ。

「私はよくマッケンリーの練習に付き合っていたが、私とコービーとの違いは明確だろう」とランドルフは言った。「コービーが話しているとき、彼は『よく聞いて』と言う必要がなかっただろう」。

「コービーは基本的に、ディフェンスとローテーションの仕方を教えてくれた」とマッケンリーは言う。

ブライアントのコーチングの時の態度やふるまいはどんな感じだったかについて尋ねられたマッケンリーは、こう説明した。「彼が怒っているとき、あるいは遊んでいないというときは、自然にわかる。また、彼は決して怒鳴りつけることをしない」。

パンデミックにより、ロサンゼルスのチャッツワースセクションにあるシエラキャニオン校でのマッケンリーの1年目のシーズンの開始は遅れたが、彼女のゲームは成長を続けている。マッケンリーが右利きなのに対して父・ザックは左利きであるにもかかわらず、彼女には父親譲りの力強さ、ずる賢さ、インサイドでの巧みなスコアリングのタッチがあり、しばしば父親と比較される。そのようなマッケンリーの可能性はすさまじく、彼女が高校の試合に出場する前だというのに、すでにルイビル大とアリゾナ大から口頭で奨学金のオファーを受けているほどだ。

彼女は極めて才能に溢れている」と語るのは、シエラキャニオン校のコーチ、アリシア・コマキ。「彼女は機動力に優れ、俊敏。私は彼女が幼い頃からポストでのプレイばかりしていると感じたので、彼女にプレイの幅を広げてもらいたいと考え、彼女にガードのスキルを伸ばすメニューに取り組んでもらっていて、彼女はそれに一生懸命になっている」。

マッケンリーは、シュートするまでにドリブルは3回までというルールで父・ザックと1on1を積み重ねてきたことが、今の彼女のゲームに生きている。彼女はまた、元NBAオールスターのギルバート・アリーナスの娘であり、マッケンリーと同様ポテンシャルが高く評価されているイゼラと、シエラキャニオン校で同じ中学3年生で、時折一緒にトレーニングする。同校の男子チームには、レイカーズのスター、レブロン・ジェームスの長男である高校1年生のブロニー・ジェームスがロスターに含まれている。彼らは昨年、全国的にも高く評価されていた。

カリフォルニア州での厳格なCOVID-19の規制により、直近数カ月間は、シエラキャニオン校の練習および個々のトレーニングはほんの一握りの数に制限されている。しかしながらコマキは、すでにマッケンリーがスリーポイントとボールハンドリングにおける改善を見ることができている。

彼女がこれらのスキルに取り組み、自分のものにし始めている」とコマキは話す。

ここ数年、ランドルフ家には不幸が重なっている。ランドルフの母のメイ・ランドルフは2016年11月に亡くなり、弟のロジャー・ランドルフは2018年6月に射殺された。それから2年足らずで起こった、いくつかの家族、若い命があまりにも残酷に奪われたヘリコプター墜落事故だった。

ヘリコプター墜落事故の1週間前、マッケンリーはブライアントの家で一晩を過ごした後、オレンジカウンティーからベンチュラカウンティーまで、ブライアント家族とその同じヘリコプターに乗って旅をした。「ジアナとは、チームメイトとしてすぐに絆を深めた」とマッケンリーは言った。ジアナは、新しいメンバーが新しくチームに参加するときに必ず不安を感じると知っていた彼女は、マッケンリーがすぐになじめるように彼女の方法で助けていた。

Source: “He Bonded With Kobe as a Competitor, Then as Another #GirlDad”(The New York Times)

彼女は本当に最高」。マッケンリーは話した。

チームマンバは2020年1月25日、コービー・ブライアントが企画し、カリフォルニア州やその他のいくつかの州のトップチームを誘致して開催した「第1回マンバカップ」の開幕日に2試合を行った。マッケンリーは、「3人の親友があの日に確かにいたのに、次の日にはいなくなっていた」ことをよく考えると語った。

娘にとって、それは本当につらい経験だっただろう。悲しみは今も続いている。でも、私は彼女を誇りに思う」とランドルフは語った。「彼女はまだ15歳だが、強いんだ」。

ヘリコプター墜落事故から1年が近づくにつれ、ランドルフはまだ自分の感情を整理しているさなかだと語った。ブライアントは、マッケンリーとより長い年月を共にしていくことを期待し、何度もこう言っていたという。「Z-Bo、彼女との取り組みが終わるまで待っていてくれ」。

事故の朝、ランドルフはマッケンリーを見るために、カリフォルニア州サウザンドオークスにあるブライアントのアカデミーに向かってハイウェイ101を北上していた。彼女はすでに数人のチームメイトと一緒にそこにいて、もう一人の元NBA選手、ジェイソン・テリーがコーチを務めるテキサスのチームとの正午のティップオフを待っていた。

事故のニュースを聞いた時、涙を流した」とランドルフは語った。「私は周りを見渡すと、ハイウェイで車に乗っていた皆が、彼らの車の中で泣いていた。今までの人生でこんな光景は見たことがなかった」。

ランドルフは、「マッケンリーが望んでいたように彼女とブライアントをチームマンバでつなげるチャンスがあったことが慰めになった」と話す。彼はインドのマリオンで父親を持たずに育ったこと、それが10代と20代で直面したトラブルや論争の原因になっているかもしれないこと、そして 「貧困の中で育った」ことを公言している。

もう一つの慰めは、ブライアントがマッケンリーに教えてくれたすべてのことへの感謝の気持ちを、往年のライバルに伝えられたことだとランドルフは言う。

「彼は女の子を愛していた」とランドルフは言う。「彼はマッケンリーのことを愛してくれていた。彼も私にこう言ってくれた。『マッケンリーのことを愛しているよ』。彼が私にそれを伝えてくれた時、私は彼にこう伝えた。『私たちは永遠に兄弟だ』。■

JJ
I Stan Basketball. / Started watching NBA since 2003 / A Big Fan of LeBron & Lakers / An Alumnus of University of Tsukuba / An Editor / A Blogger

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