タレン・ホートン・タッカーの25のコト

質の高いベテランが多いチームで、年齢が25歳を下回るレイカーは1人しかいない。

事実、タレン・ホートン・タッカー(以下、THT)は昨年11月にまだ20歳になったばかりの若者だ。フランク・ボーゲルHCは、信頼できるベテランたちの出場時間を犠牲にして彼のために出場時間を生み出さなければならないが、彼はその限られた時間の中で非常に効果的にプレイできている。

Source: “Getting to Know: Talen Horton-Tucker”(NBA.com)

THTについてより深い理解を得るために、レイカーズがロードの連戦の期間中にZoomを通してインタビューを実施。シカゴでの幼少期、シメオン・キャリア・アカデミー校時代、アイオワ州立大学での1年間、2019年NBAドラフトで受けたレイカーズからの2巡目指名、Gリーグでの経験、バブル、そして今日に至るまでの彼のバスケットボール人生の旅を辿った。

“Getting to Know: Talen Horton-Tucker”(NBA.com)

インタビュワーのマイク・トラデル記者(以下、MT)とTHTの会話の全文は以下の通り。

1. MT:バスケットボールに恋した経緯を教えてほしい。

THT:1歳くらいの時、当時の名付け親が小さなバスケのフープを買ってくれ、それからいつも私はバスケットボールを持っていたことを覚えている。それが私のバスケにまつわる最初の思いでの一つだ。ある時、私はそのボールをなくしてしまったんだ。お店に行くたびに、またボールが欲しいと思っていた。いつも「僕にはボールが必要なんだ!」と思っていた。

2. MT:初めて試合に出るようになった時のことを覚えている? フープで友人と? ピックアップゲーム? ちゃんとした試合? それともキャンプ?

THT:私はどこでもプレイしていたよ。今挙げられたすべてでプレイしていた。私はアパートで育ったんだけど、住んでいたアパートの裏にはフープがあって、そこでずっと遊びながら育ったよ。4歳頃からチームバスケを始めるようになって、年を重ねるごとに競争が激しくなっていったかな。

3. MT:初めて所属したチームは?

THT:シカゴのノースサイドにあるヴィラパークでプレイしていた。イッティビッティリーグの中でロケッツという名前のチームだった。

4. MT:なるほど。バスケットボールの世界に飛び込んだ当時、バスケはすぐにうまくなった?

THT:私はいつもバスケのプレイの仕方を知っていたような気がする他の人ができないことを自分ができることにいつも気づいていたし、それがいつも自分にうまくプレイするための自信を与えてくれていた

5. MT:シカゴはバスケの歴史がとても豊かけど、私はもしかしたらマイケル・ジョーダンが引退した後にシカゴで生まれた人と話したことがないかもしれない。もちろん、彼はまだ現代のバスケに大きな影響を与えているに違いないけど、皆が23番をつけていたんじゃないかな?

THT:その通り。シカゴで育った私にとって、ジョーダンがすべてだった。それは、私のように彼の優勝の後で生まれた人間にとってもね。彼が残してくれたレガシーを、今でも目にすることができる。母が1990年代にシカゴが優勝した時の話をしてくれていたんだけど、皆が外に出てパレードをしていたみたいなんだ。その伝統は豊かで、だからシカゴはバスケットボールの街になっている。

6. MT:あなたのお母さんはバスケが好きだった? それとも自分から好きになった?

THT:母は特定の選手のファンだったんだけど、私がバスケにハマるまでは、そこまでハマっているというわけではなかったね。バスケに対する愛情は自分の中から生まれてきたんだ。

7. MT:いくらかの人たちは、あなたの出身校・シメオンキャリアアカデミー校がバスケの伝統を豊かに持っていることを知っているだろう。デリック・ローズが2007年にメンフィス大に進む前、あなたがまだ子どもだった頃、デリック・ローズはシメオンにいたよね。あなたは7歳だったと思う。特に、彼がシカゴに戻ってきてブルズでプレイするようになった時の影響について覚えている?

THT:私はD-Roseの大ファンだったし、彼が同じ高校に通っていた頃から彼の道を見て育ってきて、彼が成し遂げてきたことはとても大きかった。そして、AD(アンソニー・デイビス)もシカゴ出身で、D-RoseとADは自分が肩を並べるレベルに辿り着きたいと願っていた2人だった。だから、今ADとチームメイトであることは、素晴らしすぎる経験だよ。

8. MT:AAU(アマチュア・アスレチック・ユニオン)に入ったのはいつ頃?

THT:私がAAUでプレイし始めたのは小学2年生の頃で、バスケットボールを通してシカゴのさまざまな側面を学び始めたんだ。今はNBAにいる数人の選手とも対戦したのを覚えている。6年生の時に対戦した相手と今はNBAで戦っているというのは、私にとってはちょっとクレイジーなことだ。RJ・バレットザイオン・ウィリアムソンキャム・レディッシュナズ・リードとか。同じフロアで彼らを見ることができるのは素晴らしいことだ。

9. MT:彼らとの対戦で具体的に覚えているものなどはある?

THT:高校3年の時のRJとの対戦は覚えているよ。そう遠くない昔にお互いに競い合えていたのが、今はレイカーズとニックスという伝統あるチームの一員として対戦できることはとてもクールなことだよ。

10. MT:高校時代のチームメイトでまだプレイしている人はいる?

THT:ディビジョン1の大学に行った選手が6、7人いるよ。レイカーズの元2-Wayプレイヤーのザック・ノーベルや、ミズーリ大のザビエル・ピンソンとか。シメオンには、選手を次のレベルに引き上げる伝統があるんだ。

11. MT:シメオンではどのようにして自分のゲームが成長し、リクルートレターをもらうようになり、自分には何か特別なものがあると気づいたの?

THT:フレッシュマンの時から少しずつ注目されるようになった。長年の努力と、高校時代の体の変化を考えると、(私の成長は)かなり良かったと思います。集中すること、ポジティブな姿勢を貫いていたら、勢い良くいろんなことが起こるようになったんだ。

12. MT:ローズやその他の偉大な選手の後でシメオンでプレイすることはプレッシャーではなかった?

THT:プレッシャーに関連するすべての物事は、自分にとって必要なものだと感じている。私はそれが欲しいんだ。プレッシャーがあったとしても、それを乗り越えたと言えるようにしたい。シメオンに行って、NBA入りを果たした選手たちのようになれるのは素晴らしいことだよ。

13. MT:去年のヒューストン戦でのプレイオフデビューを振り返ろう。フランク・ボーゲルHCがゲーム3と4であなたを投入した時のことが思い出されるが、あなたはその瞬間をまったく何も気にしていないように見えた。あなたは最初からアグレッシブで、17分間で14得点を記録し、ジェームス・ハーデンやエリック・ゴードンのようなウィングプレイヤーを見事にディフェンスしていたね。

THT:うん、私はいつもそういう感じさ。すべて、シカゴで培ったよ。シカゴ出身の選手たち、特に彼らのグリットとタフネスを見ればわかるだろう。俺たちは引き下がらない。それはどんな場所に行くにしても必ず持っていくものだ。

“Getting to Know: Talen Horton-Tucker”(NBA.com)

14. MT:私はシカゴの北西部、エバンストンのノースサイドに行ったことがある。ジャーナリズムの仕事や探検のため、シカゴをたくさん旅したから、シカゴの広大さを理解しているつもりだ。シカゴについて話してくれないか?

THT:いいよ。私は住宅街の出身で、ノースサイドからそう遠くない地域だ。多くの人はシカゴが本当に広いということを知らないし、街についてある程度のことは聞いたことがあると思うが、シカゴはどの地域でも似た雰囲気のある街だ。シカゴで育つと、何をして何をしてはいけないのかを肌で感じられる。自分とは違う道を行く友人がいるかもしれない。正しい場所に行くこと、事実と向き合うこと。シカゴで暮らすことはタフだということはわかっている。でも、周りに正しい人々がいれば、それを乗り越えていくことができる

15. MT:レブロンはよく自らが「Kid from Akron」(アクロンから出てきた少年)であることを口にしている。そこから出てくるはずではなかったのに、バスケが道しるべになったというストーリーだ。自分の行きたいところへ行くために、フープが自分を導いてくれたことについて、あなたもそのように感じている?

THT:それは興味深い話だ。なぜなら、先ほども話したように、私は基本的に家の裏にバスケのコートがあった。ストレスを解消できる場所があったことは、自分にとって大きかった。たとえその日に何が起こっても、とにかくいつも外でバスケットボールをしていたそれが本当に自分のやりたいことだと思っていたからね。

16. MT:アイオワ州立大に行こうと思ったきっかけは?

MT:アイオワ州立大に行こうと思ったきっかけは?
THT:自分の能力を発揮できる場所に行きたかったし、実際に何かを勝ち取るチャンスがある場所に行きたかったんだ。結局、ビッグ12チャンピオンシップで優勝できた。それは私にとって素晴らしい経験になった。

17. MT:あなたは在籍した1シーズンで、27.2分の出場で11.8点、4.9リバウンド、2.3アシスト、1.3スティールを記録し、第5シードとしてビッグ12トーナメントに出場し、ベイラー大、カンザス州立大、カンザス大を破り、トロフィーを獲得した。そこからNBAドラフトへの正式なエントリーを決意するまでには、どのようなプロセスがあった?

THT:1年目のシーズンが終わった後、母と話をした。母が何を考えているのか知りたかったんだ。その時、母は私が決めることだと言ってくれ、私をサポートしてくれていた。エントリーすることを決断した時、準備ができていないと言ってきた人もいたけど、自分を信じ、自分に賭けてみたんだ。良いチームに着地するための仕事ができたような気がしたよ!

18. MT:私はあまり大学バスケは見ないんだが、レイカーズがドラフト1巡目後半から2巡目中盤にかけて、(スカウティング部門責任者兼アシスタントGMの)ジェシー・バスと(球団運営副社長兼GMの)ロブ・ペリンカの下で多くの成功を収めてきたことは知っているよ。また、足のケガでコンバイン(身体能力測定会)に参加できず、ドラフトにも影響を与えたかもしれないが、レイカーズは明らかにあなたの中に何かを見ていたね。

THT:マインドセットが物を言うと考えている。特に、指名された後はね。どんな指名順位であっても、「自分のやるべきことをやる」というマインドセットが自分の中にあった。シーズン終了後、足にストレス反応があることがわかった。それはちょうどコンバインの期間だったんだ。それが指名順位が落ちた理由の一つだったと思うが、そういった不確実性のある中でもポジティブであり続け、前に進まなければいけないと考えていたよ。

19. MT:レイカーズは昨年、才能のあるガードが何人も集まる深みのあるロスターで、いわばベテランチームだった。同時に、Gリーグチームとしてサウスベイ・レイカーズがあり、アレックス・カルーソはそこで成長を遂げ、現在のような大きな役割を持つようになった。ルーキーイヤー、Gリーグはどのようにあなたを助けた?

THT:Gリーグでの経験は素晴らしいものだった。コーチングスタッフがいてくれたことも本当に良かったし、レイカーズに移った時に必要になることをずっと教えてくれていた。この1年をNBAに向けた準備期間として使えたんだ。

“Getting to Know: Talen Horton-Tucker”(NBA.com)

20. MT:先ほどロケッツ戦でのプレイオフデビューの話をしたけど、ボーゲルHCはメディアを通じて、あなたが練習で素晴らしい姿を見せていたと話していたし、ロケッツ戦ではあなたをコートに立たさざるを得ない状況のようだった。パンデミックが始まった4カ月間の中断期間から戻ってきた時、どうやってコーチやベテランたちの信頼を得た?

THT:練習に入る時は、私は常に学ぼうとしている目の前にいる選手を見て、それを真似するようにしている。あまり多くを語らないようにもしている。ただしっかり見て、注意を払う。もしそれができるようになれば、自分は良い状態だと感じるんだ。バブルの頃、少しずつ時間がゆっくり感じるようになったNBAのリズムを見つけ始めたんだ。毎日彼らと対戦できたことは最高の経験だった。

21. MT:もちろん、レブロンやNBAで最も賢いガードの一人であるラジョン・ロンドのような偉大な選手と一緒にプレイしたり対戦したりすることで、かなりのことを学んでいると思う。

THT:バブルでは、ロンドと試合の後でホテルに戻ってよくフィルムを見ていた。彼のような人が側にいてくれたし、レブロンもいつも側にいてくれて、何が間違っているのかを教えてくれて、それを修正することができるんだ。その2人が側にいることはすでにクレイジーだったが、チーム内には他にもメンバーがいて、自分を助けてくれることは本当に支えになった

22. MT:プレイオフでのあのパフォーマンスから、わずか2カ月後のトレーニングキャンプを経て、プレシーズンのクリッパーズ戦で33点を奪うところまで、どのようにして進んできた?

THT:私は、これまで自分がやってきたのと同じ仕事を続けたんだ。隔離されたからといって何かが止まるわけではなく、自分でトレーニングを続けていた。バブルの中にいたことは、私にとってもう一つの学びの経験だったような気がしている。私はそれを「バスケットボールスクール」と呼んでいた。

23. MT:今季、自分らしいプレイができた試合の興奮を楽しむことができている?あるいは、自分が成し遂げたいと思っていることに向かって、常に前に進み、それに集中できている?

THT:そうだね。いつもそうありたいと思っていることだよ。だから、皆が私のことを良く言ってくれるのは嬉しいけど、私はただ日々向上することに集中しようとしているんだ。それが最もフォーカスしていることだ。私はまだたかだか20歳だからね。自分には限界がないと思っているのと同時に、このベテランたちから学べていることは私のキャリアにとって素晴らしいことだよ。

24. MT:18年目のシーズンでもなお、MVPレベルのプレイを続けるレブロンから知識やノウハウを直接学べるのは、ずるいことのように感じる時もあったりする?

THT:(笑)そうだね、何度かあるよ! レブロンの近くにいて、誰もしないようなリードの仕方を学んだことで、「レブロンは今、世界中の他の20歳の選手にこんなことを話していないんだよな」と思ったね。私は、他の誰も得ていないものを得られているんだ。それは大きなことだよ。ADやKCPもそうだし、去年のロンドもそうだった。ロンドから、どうやってチームを導いていくかを学べた。特に、プレイオフで彼がより多くのボールをシュートするようになった時は、本当に嬉しかったよ!

25. MT:ステュー・ランツ(元NBA選手、レイカーズのテレビコメンテーター)はスペクトラム・スポーツネットの放送で、あなたはボールを持っている時が最高の状態だと話している。レブロンのような選手がボールを持っている時にオフボールの動きが求められると思うけど、どうバランスをどう取っている?

THT:私はただ、コートに出てより良くなりたいと思っている。彼らのような選手の周りにいると、フロアに出るためには何でもしなきゃいけないんだ。彼らに頼まれたことは何でもするつもりだ。コート上で複数のことができれば、どこでだってプレイできるように感じるよ。■

JJ
I Stan Basketball. / Started watching NBA since 2003 / A Big Fan of LeBron & Lakers / An Alumnus of University of Tsukuba / An Editor / A Blogger

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