渡邊雄太のNBAデビューまでの道のり、これが始まりに過ぎない理由

陵南高校のスター・仙道彰は、トレードマークである屈託のない笑顔で、ウイングで相まみえた湘北高校の2人のディフェンダーを見つめた。そして、ダブルチームからパスを出さざるを得ないかと思われたその時、仙道はリムに向かって突き進んだ。

そこから、仙道の本領の発揮された。湘北のセンター・赤木を引きつけ、自チームの5番でキャプテンの魚住純にドロップオフパスを送り、雷のようなダンクを叩き込んだ。

仙道はまたしてもやってのけた。

Source: “How Yuta Watanabe earned his NBA shot and why this is just the beginning”(Sportsnet)

冒頭の文章が何を指しているのか分からない場合は、このクリップを見てほしい。

ここで見てもらったのは、1990年代半ばに日本で放送された人気テレビ番組「スラムダンク」のワンシーンである。この番組は、世界中の視聴者を魅了し、特にトロント・ラプターズのフォワードである渡邊雄太には忘れられない思い出となっている。

事実、この番組の原作であるコミックは、1996年6月に渡邊がまだわずか1歳だった頃に連載が終了したにもかかわらず、渡邊が最も好きなメディアとなっている。

冗談抜きで100回くらいは読んでいる」と、渡邊は最近のインタビューで答えている。「高校生の頃には、全てのフレーズと全てのキャラクターの言葉を知っていた」。

スラムダンクのお気に入りのキャラクターである仙道の面影が、渡邊に投影されているのも不思議ではない。仙道と渡邊には共通点がある。渡邊は非常に好感の持てる穏やかな性格で、部屋を明るくするような100万ワットの笑顔を持つ。

しかし、渡邊が仙道をどんなに気に入っていたとしても、2人のプレイは似ても似つかなない。スラムダンクの登場人物を例に比べてみると、渡邊はシリーズの主人公である湘北のフォワード・桜木花道に似ている。ハードワークでディフェンスを重視したフォワードでありながら、シリーズが進んでいくにつれてオフェンス力が増していく。

“Yuta Watanabe is becoming Raptors’ glue guy off the bench”(The Athletic)

トレーニングキャンプが始まる直前、エキシビット10で契約した選手が、4月19日にチームと本契約を結ぶという信じられないような飛躍を遂げた渡邊を見てきた人なら、これはとてもよく分かるはずだ。

我々は彼がそれ(本契約)に値する選手だと考えたんだ」と、ラプターズのヘッドコーチであるニック・ナースは、渡邊の契約について語る。「我々にはこの契約のためのロスタースポットがあった。彼は良いプロであり、良い選手であり、熱心に取り組んでいる。そして、私が思うに、もう一度間違いのないように言うが、彼は確かに今後もこのチームの一員として検討されている。もし彼が成長し続けることができれば、彼には彼が出場機会を勝ち得ることができるスポットが与えられるだろう。それこそ我々が考えていることさ」。

開幕当初は無名の選手だった渡邊は、今ではラプターズにとってインパクトのある選手として活躍している。いや、これまでの道のりの中で見てきた渡邊選手の人柄やプレイスタイルを考えると、今回のことは予想できていたことなのかもしれない。

母、父、そして姉が日本でプロとして活躍し、特に母は女子日本代表チームに所属していたという、バスケットボールに縁の深い家系に生まれた渡邊は、バスケットボールを中心とした生活を送り、常に壮大な計画を立てていた。

故郷の香川県では、野球の名門校として知られる尽誠学園高に進学。また、バスケットボールでも全国高等学校バスケットボール選手権大会(ウィンターカップ)で準優勝するなど、名門校としての地位を確立した。

しかし、渡邊の野望は、故郷や母国では到底実現できないほどの壮大なものだった。2013年、渡邊は苦渋の決断を下し、荷物をまとめて太平洋を渡り、1万1,000キロ以上離れた場所にあるセント・トーマス・モア・スクールに入学した。セント・トーマス・モア・スクールは、全寮制の私立学校で、これまでに多くのNBA選手を輩出している。

本当に難しい決断だった。英語も話せないし、知り合いもいない。本当に大変だった。しかし、私はずっとアメリカでバスケットボールをしたいと思っていたし、もっと高いレベルでプレイしたいと思っていた。NBA選手になることは常に私の夢だった」。

セント・トーマス・モアを選んだのは偶然ではない。父親の友人で、2010年から日本でプロバスケットボールのコーチをしているドン・ベックが、ヘッドコーチであるジェレ・クインに渡邊を推薦したのである。

クインは、渡邊を指導した1年間で、彼が自分の殻を破るための時間が必要だったと言った。

彼は、私たちのジムでのプレイのレベルに畏敬の念を抱いていたと思う。ディビジョンⅠの選手が7、8人、ディビジョンⅡの選手が4、5人、毎日のようにピックアッププレイをしているようなジムに、雄太はあまり行ったことがなかったと思う。そして私の仕事は、雄太に自分の良さを確信させることだった」とクインは言う。「私がこれまで指導してきた日本の選手たちの最大の特徴は、歴史的に見ても『黙認する』ということだ。彼らはチームワークを重んじるので、常に皆を喜ばせようとする。私たちが彼らに求めていること一つは、ちょっとした『わがままさ』なんだ」。

ゴールデンステイト・ウォリアーズのエリック・パスカルは、セント・トーマス・モアで渡邊のチームメイトだったが、同じことに気づいていた。「チームメイトだった時は、彼にもっとアグレッシブになってくれと頼まなければならなかった」とパスカルは言う。「『雄太、君は才能に溢れている。 自分の力を発揮するんだ』と。そして、その年の後半には、彼はより積極的になり、自由に得点するようになった」。

2013-14シーズン、セント・トーマス・モアの26勝8敗の成績に貢献した渡邊は、数々の個人賞を受賞し、ジャパン・タイムズからは「選ばれし者」というニックネームも与えられた。しかし、その静かな性格のためか、あるいは露出が少なかったためか、ディビジョンⅠの学校からはあまり注目されず、ほとんどのスカウティングからは3つ星の評価しか得られなかった。

@wacchi1013(Twitter)

しかし、渡邊にとって幸運だったのは、ディビジョンⅢのトリニティーカレッジのヘッドコーチであり、セント・トーマス・モアで選手兼アシスタントコーチを務めたジェームス・コスグローブが、渡邊にオファーがないことを知って驚愕したことだった。

彼がアメリカ来たばかりの頃に見たのですが、明らかに痩せていて粗削りだった。しかし、プレイをしていると、彼のスキルパッケージと『良い選手になりたい』という思いが伝わってきた」とコスグローブは言う。「それで、ジェレに『誰か彼をリクルートしているのか』と尋ねたんだ。すると彼は『誰もいない』と言った。私は『誰もいないのか!?』と驚いたよ」。

私は、当時ジョージ・ワシントン大にいたマイク・ロナーガンと友人として良い関係があったから、マイクに『彼に会いにきてくれ』と言ったよ。彼らはお互いにぴったりだと思った。マイクがいつも探していたのは、最も運動能力が高い選手でも、最も体格が良い選手でも、最も力強い選手でもなく、プレイの仕方をよく知っていて、優れたスキルを持っていて、バスケットボールIQが高い選手だった。私は雄太にそれを見いだしていた。マイクが会いにきてくれ、彼を見て、私と同じものを見いだすと、すぐに彼を獲得したんだ」。

渡邊とジョージ・ワシントン大のタッグは彼にとって必要なものだった。彼はジョージ・ワシントン・コロニアルズでスターとして活躍した。4年目の2018年には、アトランティック10の最優秀守備選手に選ばれ、オールカンファレンスのサードチームにも選ばれた。

4年間、渡邊と幅広く仕事をしたコーチの一人が、ヘッドコーチ就任前に2年間アシスタントコーチを務めていたカナダ人のモーリス・ジョセフだ。ジョセフの家族は、カナダのバスケットボール界では有名な存在で、兄のクリスは2012年のドラフトでボストン・セルティックスに指名され、いとこのデボーはヨーロッパでプロとして長いキャリアを積んだ。もちろん、いとこのコーリー・ジョセフ(デトロイト・ピストンズ)は、これまでのカナダ人の中で最も優れたNBAキャリアを積んでいる。

ジョセフは、渡邊がジョージ・ワシントン大で学業に励んでいたことに感心していた。「ジョージ・ワシントン大のように学業面で厳しい大学では、言語の壁があったのは疑いようのない事実だ。彼はプレイするため、そして学業面でも成功をおさめるために、彼が必要としていたことに常にフォーカスしていた。彼は一度も、授業を休まず、個別指導も休まず、自習室も休んでいない」。

“Yuta Watanabe reflects on successful hoop career at George Washington”(The Japan Times)

その努力が実を結び、約8年前に渡米したとは思えないほど、今では英語を流暢に話すことができるようになった。一方で、バスケットコートにおける彼の学習曲線は、それほど急激なものではなかった。

彼は早い段階で英語に苦労していたが、バスケットボールの言語については苦労することはなかった。彼はいつもバスケットボールについてよく話していた」とジョセフは振り返る。「私たちがスカウティングレポートやフィルムセッションを行う時、そしてコート上でのスキームを考える時、彼はいつも本当に鋭く、また私たちが達成しようとしていることをスキーム的に深く理解していた」。

だから、彼が信じられないほどよくバスケットボールを話し、バスケットボールを理解していたので、彼と一緒に何かを実行することに苦労することはなかった」。

これこそが、渡邊がナースHCやラプターズの組織全体から愛されている最大の理由であり、彼のバスケにおける賢さは桁外れなのだ。

身長206cm、213cmのウィングスパン、そして信じられないほど速い足を持つ渡邊は、ほぼ完璧なマルチポジション・ディフェンダーだ。ラプターズは、彼のゲームに対する理解度の高さから、さまざまなディフェンススキームで彼を起用し、彼のディフェンス能力を最大限に活かしている。

メンフィス・グリズリーズで2年間プレイした後でラプターズに移籍した渡邊は、「それは自分でも誇りに思っていることで、自分は本当に良いディフェンダーだと思っている」と語る。「まだまだ課題はあると思うが、今季はこれまでのところ、ディフェンス面での仕事はできていると思うし、チームのシステムもよく理解できていると思う」。

ラプターズが渡邊に信頼を寄せ続ける中、彼はディフェンスでその信頼に応えながら、最近ではオフェンスでも活躍している。セント・トーマス・モア・スクール時代にパスカルらが勧めたように、渡邊はより積極的にシュートを狙うようになり、4月16日のオーランド・マジック戦ではキャリアハイの21点を記録した。

自信に満ちた渡邊の活躍は、トロントにとって良いことだけではない。夏に向けて、彼の母国である日本にとっても大きな意味を持つ可能性がある。

2021年の東京オリンピックでは、開催国の日本が1976年のモントリオール大会以来、初めて男子バスケットボールのトーナメントに出場する予定だが、渡邊はこの大会で大スターになる可能性がある。

渡邊は、すでにNBAジャージーの売り上げが日本でNo.1となっており、日本のメディア「月バス.com」の記者、柴田健氏によると、渡邊は、野球のダルビッシュ有選手や大谷翔平選手、テニスの大坂なおみ選手、最近のマスターズで優勝した松山英樹選手、オリンピックで2度の金メダルを獲得したフィギュアスケートの羽生結弦選手に匹敵するほど、日本で注目されているという。

これは、特にローテーションのベンチプレイヤーとしてはエリートの部類に入るが、わずか18歳で初めて日本代表に選ばれて以来、人気が上昇し続けていることを物語っている。

2016年に日本を訪れたが、どこに行っても雄太はまるでロックスターのようで、子どもたちが私たちのバスを追いかけてきたり、写真やサインを求めてきたりしたんだ」とジョセフは話す。「大学の選手が地元でそのような注目を浴びるなんて、本当に信じられないことだった」。

“YUDAI BABA AIMS TO FOLLOW RUI HACHIMURA’S LEAD”(Olympic Channel)

少なくとも、渡邊やワシントン・ウィザーズのフォワードの八村塁のような選手がオリンピックやNBAで活躍している姿を見ることは、日本でのバスケットボールの成長にもつながるはずだ。

柴田氏は、「雄太や塁が世界のトップレベルで活躍している姿を見て、バスケットボールを選んだ子どもたちは多いと思う」と語る。

NBAの歴史上、日本人選手は5人しかおらず、日本で生まれた選手は3人しかいない。そのため、日本人選手が活躍するという考えは、これまでは現実的ではないと思われてきた。

しかし、今は違う。八村は2019年のNBAドラフトで全体の9位で指名され、輝かしい2年目のシーズンを過ごしているし、渡邊はようやくNBAの重要なローテーション選手としての地位を確立することができた。

子どもの頃、NBAの選手になるのが夢だった。でも、それを言うと、皆に笑われるんだ。『無理だよ。日本人なんだから』って」と渡邊は言う。「だから、私や塁がNBAで活躍することで、子どもたちが『雄太がやっているから、塁がやっているから、私もNBA選手になれるんだ』と思えるようになったら嬉しい。多くの子どもたちが『NBA選手になりたい』と大きな声で言えるようになるように願っている。なぜなら、それは可能だから。不可能なんてないんだから」。

漫画のコンセプトとして、良さそうだ。■

JJ
I Stan Basketball. / Started watching NBA since 2003 / A Big Fan of LeBron & Lakers / An Alumnus of University of Tsukuba / An Editor / A Blogger

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