メッタ・ワールド・ピースが語るメンタルヘルスへの取り組みとセラピーの重要性

2004年11月19日、インディアナ・ペイサーズのフォワード、メッタ・ワールド・ピース(当時はロン・アーテスト)は、かつてのデトロイト・ピストンズの本拠地であるオーバーン・ヒルズのパレスで、両軍が入り乱れているさなか、スコアラーテーブルに横たわっていた。残り45秒、ペイサーズが試合を優位に進めていた時、ワールドピースはピストンズのストロングマン、ベン・ウォレスにハードファウルを仕掛けた。これに反応したウォレスは、ワールドピースを突き飛ばしたが、彼は落ち着き、スコアラーテーブルに寝そべっていた。

Source: “Metta World Peace opens up about his mental health journey and the importance of therapy”(ESPN)

その時、事件は起きた。ピストンズのファンであるジョン・グリーンが投げた青いカップがワールドピースに当たり、彼はスタンドに突進した。そして、選手とファンの間で激しい乱闘が引き起こされた。この怒りの感情は、今ではワールドピースのキャリアの代名詞となっており、おそらく彼の個人的な幸福のように認識されている。しかし、ワールドピースは、自分の精神状態を示すものというよりも、単なる報復行為だったと明言している。

ワールドピースは、ESPNに次のように語っている。「人々はいつも、私がスタンドに突っ込んでいくシーンを見たがる。しかし、あの事件は、スタンドからの誰かが私にカップをぶつけたから起こったんだ。それによって、物語は変わってくる」。

真の物語には、もっとニュアンスがあった。17年間のNBA生活を終えて2017年に引退したワールドピースは、すでに以前からセラピーを受けており、NBA最高のディフェンダーとなった荒々しさを追い求めていた。しかし、それでもあの夜の出来事は、彼をうつ状態に追い込み、個人的な平安のための長年に渡る闘いの一部となってしまった。

その6年後、2010年にロサンゼルス・レイカーズで優勝を果たした際、ワールドピースは心理学者に感謝の言葉を述べた。それから約11年後の5月初め、ディズニーが全社的に行っているメンタルヘルスに関する話し合いの一環として、「メンタルヘルス・アクション・デー」を前に、ワールドピースはESPNの取材に応じた。

このインタビューは、分かりやすくするために編集・要約されている。

ニューヨークのクイーンズブリッジ団地で育ち、忘れがたいトラウマを経験したことについて。

トラウマになるようなことは、ストリートではいろいろなことが起こる。また、家庭内でも、たとえば兄弟が10年も家を空けていたり、麻薬の密売がされていたりといったことが起きる。銃を使ったゲームなんかもよく知っている。それが積み重なっていくんだ。私のように、10代の頃に赤ちゃんが生まれたこともある。そういったことが積み重なっていくんです。常に利害関係が絡んでくる。プロの世界にいても、プロではない。会社員という立場に葛藤があった。あの年頃の私にはなじめないことだった。週末になると、少しだけリラックスするためだけに、車で13時間かけて故郷に戻り、そしてまたシカゴ(1999年にブルズからドラフト指名された)に帰る。オフのたびに毎回そんなことをしていた。

デニス・ロッドマンを尊敬していた。彼は、他の多くの人々よりも早く、精神的な健康状態に苦しんでいることを認識していた。

――デニス・ロッドマンは、自らのメンタルヘルスに取り組んでいることを最初にカミングアウトした人物だ。彼は(1996年に)「オプラ」に出演して、家族について語っていた。それを見て、私は「ああ、すごい」と思ったよ。そんなデニス・ロッドマンのことは知らなかった。私はただ、デニスに愛着を持って育った。「私はあなたに共感し、あなたが経験していることを理解している」と感じていた。でも、みんなはそんなふうには見ていなかった。誰も「デニス・ロッドマンが何かを乗り越えようと取り組んでいた」という記事を書かなかったんだ。彼には両親がいなかったし、彼はホームレスだった。だから、僕は自分の番号を「91」(ロッドマンの番号)に変えたんだ。

マンハッタンのラサールアカデミーからマクドナルド・オールアメリカンとして入学したセントジョンズ大学では、2人のヘッドコーチのうちの1人が先見の明のあるコメントをしていた。

――私は極めてハードにプレイしていたが、時々、度を越したプレイをしてしまうことがある。おそらく高校、いや、中学からかもしれない。そこに不安が生まれるのであれば、それは良い組み合わせではないよね。昔のコーチであるフラン・フラッシラ(現在、ESPNの大学バスケットボール・アナリストで、彼が1年生の時に彼を指導した)は、私の激しさは才能であり呪いでもあると言っていたが、後になるまでそのことをよく理解していなかった。フランコーチ、彼は正しかった。時には、手放す方法を考えるべきものを抱えていたわけなんだ。私は、自分の目標であるNBAに辿り着いた。この時点では、その瞬間を大切にして、かつてのプレッシャーを解放しようと取り組むべきだった。でも、その時には気づかないものだね。私にとってバスケットボールは素晴らしいものだった。私はバスケットボールを好きになる方法を考えていた。コートの上では、不幸になってはいけない。

“Metta World Peace opens up about his mental health journey and the importance of therapy”(ESPN)

1999年にドラフト16位で、低迷していたブルズに入団したこと。ブルズはマイケル・ジョーダンが引退する前のシーズンに13勝しか挙げられなかった。(彼は19歳でデビューした。彼が在籍した2シーズンで、シカゴはわずか32勝しかできなかった。)

――ブルズに入った時、何度か殴り合いをした。私はいつものようにイライラしていた。それはコートの外にも伝わっていた。私はとにかく激しかった。私はそれを見ることさえできなかった。毎日、ハードに取り組んでいる人を見るのはとても美しいことだが、同時にその人が多くのことを乗り越えるために取り組んでいるということも理解する必要がある。それから、試合に負け続けたこと。私は負けるのが大嫌いだ。私は負けることに慣れていない。負けたことがなかったのに、NBAになると負けてしまう。それにとても悩まされた。「お前はルーキーで、ここにはプロがいて、もっと良いチームに入るまで毎日ケツを蹴られるんだ」としか理解できなかった。私は、自分が勝つものだと思っていた。しかし、そううまくはいかなかった。

キャリアの初期にメンタルヘルスのサポートを受けたことについて。

――ブルズ、彼らは本当に素晴らしかったよ。ブルズは時代の先端を行っていたのにもかかわらず、私は彼らの助けをあまり受け入れなかった。ただ、一般的な診断かカスタマイズされた診断か、くらいにしか思わなかった。でも、それはブルズでの話。インディアナに来てからは、メンタルヘルスの診断を受けるようになり、セラピーや呼吸法、瞑想などを行うようになった。そういったことに取り組み始めた時は、本当に嬉しかったね。もっとホリスティックになった。子どもの頃のことを調べたり、話し合ったりする。薬を処方することよりも、その方がずっと役に立つと思う。そうしようとする人もいるが、私はそれが正しいアプローチだとは思わない。診断は、正しい方法で行われなければならない。

チームメイトからのメンタルヘルスサポートについて。

――自分自身が経験していなければ、チームメイトにとってはサポートは難しいことだ。しかし、私はキャリアを通じて、多くの選手が私に近づき、私が大丈夫かどうかをサポートしてくれていた。サポートし、応援したいという気持ちはありつつ、同時に「なぜ練習中に暴言を吐くのか 」という疑問もある。励ましと同時に、「大丈夫か? 落ち着こうぜ。これはバスケットボールなんだ。セラピストに診てもらったほうが良いんじゃないか?」」と問いかけるバランスが大事だ。

“Metta World Peace opens up about his mental health journey and the importance of therapy”(ESPN)

「パレスの騒乱(The Malice at the Palace)」の影響について。(それにより、ワールドピースは2004-05シーズンのレギュラーシーズン72試合とその後のプレイオフの出場停止処分を受けた。コート上の事件としてはNBA史上最長。2005-06シーズンの開幕から16試合に出場した後、彼はインディアナポリス・スター紙に「ペイサーズには自分がいないほうが良い」と語り、退団を希望した。)

――私はプレイしたかったが、(出場停止期間中は)まったくプレイできなかったんだ。罰金も取られ、お金も失ったが、とにかくプレイさせてほしいと思っていたんだ。彼らはその両方を実行してくれました。11月からプレイオフまではトレーニングをした。そしてプレイオフの後、夏になって精神的に落ち込み始めたんだ。そして、そのシーズンが戻ってくると、少しずつパニックになっていった。そのタイミングでトレードを要求したんだ。とにかくここから出て行きたい、と思った。その後、本当にうつの状態になった。トレードされたサクラメントに着いた時には、112kgあった体重はから124kgになっていた。出場停止期間が明けて戻ってきた時は、アリーナで何が起こるかを心配していた。誰かが自分をテストするのではないかとね。誰かが何かを投げてくるかもしれないとも思っていた。でも、私にはサポートシステムがある。私にはまだセラピストがいた。

オールスター、ディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー、オールNBAに選出されるなど、コート上では成功を収めたものの、メンタルヘルスの面では闘いが続いていた彼は、どのように対処したのか。

――バランスが重要だ。例えば、自分が非常に良いプレイをしていても、感情的にはそうではないと考える。バランスを取るためには、時に逆の方向に進まなければならないが、そうすると自分の素晴らしさから遠ざかってもしまう。でも私の場合は、ゲームに全力を尽くすことから2、3歩下がらなければならなかった。自分自身に少しだけ目を向けなければならなかった。キャリアの最盛期だっただけに残念だったが、最終的には気持ちが楽になった。長い時間がかかったね。でも、28歳か29歳の頃には、何が起きているのか本当に理解できるようになっていたと思う。

2010年のファイナル第7戦でレイカーズがセルティックスを破り、ステイプルズセンターで紙吹雪が舞う中、ESPNのNBAアナリストであるドリス・バーク氏と話している時に、心理学者であるサンティ・ペリアサミ氏に感謝の言葉を述べていた。

――多くのセラピストが手を差し伸べてくれた。私が経験したこととは異なる問題に直面している選手たちも知っている。多くのセラピストが、「ありがとう、あなたが正直でいてくれたおかげで私の仕事が楽になった」と言ってくれた。(ケビン・)ラブや(デマー・)デローザンも、自分のメンタルヘルスについてカミングアウトしていたね。彼らのような選手が実際にそういった問題を経験しているとは知らなかったので、それはとても良いことだと思った。これは大きなことだと思う。

“Metta World Peace opens up about his mental health journey and the importance of therapy”(ESPN)

子どもたちや若い選手のためのメンタルヘルスのインフラの重要性について。

――新しいリーグが続々と生まれてきている。彼らは必ずしもメンタルヘルスから始めているわけではなく、バスケットボールのビジネスから始めている。しかし、NBAにはそれを実現するための資金的な余裕がある。それを実現するためのケーススタディーは数多くある。毎年、プログラムを実施するのにそれほど費用はかからない。そして、彼らは良い仕事をしていると思う。私は41歳。若者に(メンタルヘルス)について話しているところだ。私は実際に、似たような環境で育った子どもたちにコーチングをして、異なる選択肢を与えようとしているんだ。■

JJ
I Stan Basketball. / Started watching NBA since 2003 / A Big Fan of LeBron & Lakers / An Alumnus of University of Tsukuba / An Editor / A Blogger

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